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「こどものきもち」vol.3 近藤麻由 (PUNKADELIX)

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——文化出版局が刊行していた雑誌『high fashion』が近藤さんのアートディレクターとしてのキャリアの原点だと思うのですが、いつから仕事を始められたのでしょうか。 

近藤麻由「女子美術大学在籍中に編集部でアルバイトを始めました。3年生ぐらいにもなると、みんな卒業後のことを考えるようになるじゃないですか。でも、当時の私はDJを始めた頃で遊んでばかり。クラブ、レコード屋、ライブハウスをローテーションで回るような生活をしていて就職のことは真剣に考えていませんでした。そんなときに、ニューヨーク在住の叔父の家にしばらく滞在させてもらうことになったんです。ハウスミュージック全盛の頃で叔父の家の前が名門レコード屋のeight ballだったり完全にレコード収集が目的の滞在でしたが(笑)。しかしその当時ニューヨークの街中に展開されていたダナ・キャランやカルバン・クラインなんかのファッション広告がかっこ良くて衝撃を受けてしまったんです。そのヴィジュアルが街を形成しているようなスケール感に圧倒されて、「自分もこういうものを作る仕事がしたい」と漠然と思いました。それで東京に帰ってから縁があって『high fashion』誌の編集部に。最初は右も左もわからなくて、怒られてばかりでしたけど、ちょうどアレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノが出てきたくらいの時代で、とても刺激的で面白かったですね」

——モードやファッション広告にとても力があった時代ですよね。

近藤麻由「『high fashion』もいろんなカルチャーをミックスさせながらファッションを紹介する雑誌だったので、自分にすごく合っていました。編集とエディトリアルデザインをやるようになってからは、空輸で届くサラ・ムーンやヨーガン・テラーの紙焼きプリントの色校正をしたり、なかなかできないようなことを経験させてもらったことも良かったですね。結局『high fashion』には5年ほどいましたが、寝る時間も足りないぐらい、ひたすら仕事に集中した期間でした。大学時代に遊びすぎていたので、ちょうど良かったのかもしれませんが(笑)」

——その後、仕事と遊びのバランスの取れるフリーランスに。

近藤麻由「そうそう(笑)。でも、フリーのアートディレクターとして広告やカタログの仕事をメインにやりながら、学生のときにやっていたDJも再開して、PUNKADELIX名義での活動を始めて。それはそれで忙しい毎日でしたね」

——さらに『RUBYPAPER』の発行も。

近藤麻由「『RUBYPAPER』はファッションと音楽という自分の活動の中間にある世界という感じでしょうか。一緒に作っているクリエイターもコレクションブランドのデザイナーから、ストリートで活躍するグラフィックデザイナー、音楽業界の人たちまで入っていて、ファッションや音楽、アートをリンクさせたカルチャーを誌面で発信する媒体。これは仕事ではないから自分の気分というか、テンションに嘘をつかずに作っています。気が向いたら次を出すか、くらいのゆるさで(笑)」

——近藤さんのジャンルの垣根を超えた多岐にわたる活動に憧れている若い人も多いと思いますが、クリエイティヴな仕事にはどんなことが大事だとお考えですか?

近藤麻由「うーん、想像力とやっぱり常にフレッシュな感覚が必要だから、ちゃんと外に出て、遊ぶ。遊ぶことも刺激になりますから。あとは私の場合、人と出会うことですね。人からインスピレーションを得ることは凄く大きい。私がディレクションするものは世界を作り込むというよりは、シーンを切り取って光の演出や人物の見せ方でファンタジックなヴィジュアルにしていくものが多いので、実際に外に出て人に会ったり、街を見ることを大事にしています」

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