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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#27 さようならで暮らす

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ん?となった方も多いと思う。日々の小さな場面をその都度終わらせる必要などあるのだろうか?と。過去を未来に持ち込むことは悪いことなのかと。

それに答える前に、「さようなら」を日々心で呟くことは、つまり整理術なのだと知ってもらいたい。「さようなら」は、頭や暮らしを混乱させるような不要なものを日常に持ち込まない整理術のメソッドだ。整理を今まで必要だと考えたことがない方にこそ、一度試してもらいたい。

と断った上で、さきほどの仮想の質問に答えようと思う。

日々の小さな場面をその都度終わらせること。つまり過去を未来に持込もないこと。その必要性は、あると私は考えている。

細かい事例は一旦無視するとして、大枠でまず考えるなら、「今を生きられる」ことが結局最も幸福な状態なのだと私は思う。良い思い出も、悪い思い出も、それは脳が生んでいる幻影に過ぎない。すでに終わったことを、わざわざ選び出して映画のようにスクリーンに投影して、感動したり、怒ったりしている状態が思い出している、ということだ。

私は、幻の世界に遊ぶのは楽しいとも思うが、一方悩みや苦しみ悲しみといったネガティヴな感情を増幅させもする。貴重な時間を、幻影鑑賞に当てるのは、私には賢明な選択とは思えない。

大胆にいうなら、どうせなら全部忘れてしまいたいとすら思っている。自分の脳から、そして人生から、思い出の名場面集をそっくり削除してもいいとさえ思っている。

削除しても、やはり完璧にはできないだろうから、なおさら、溜まる一方のストックを分別ゴミのような捨ててしまいたいのだ。

さすがにこの辺の話になると、突飛と捉えられそうなので、このくらいにしておきたいが、要約するなら、過去からの影響・思い出は、所詮脳が作り出している幻影なので、今を味わい楽しむためには、粗大ごみとして大きくなった思い出に支配されてしまう前に、細々と消去していこうという話だ。そのために具体的には「さようなら」を魔法の言葉として私は使っている。



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