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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#40 京都散歩

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 全ての歩行を瞑想散歩とする。それが可能となれば、より心身の健康が保たれるだろう。折しも桜の開花宣言が東京でも出た。これから北上し、間も無く全国が桜色で染まるだろう。その色と香りに誘われ、酔い、夢心地になりながら、散歩をする。背筋を伸ばし、深い呼吸を繰り返し、肩の力を抜いて、彷徨えば、きっと散歩瞑想の何たるかが少しでも近くなると思う。
 それが京都ならば、なお素晴らしいだろう。歩き疲れたらそのままどこかの公園のベンチにでも腰掛けて、瞳を閉じて呼吸の音だけに耳を注意深く傾ける。あちらとこちらのどちらが夢の世界か分からなくなる。ちょうど荘子にあるように、蝶の夢を見ていたら、蝶の自分が本物で、人間となって蝶の夢を見ているのが夢の世界と差し替えられる感覚を持つように。
 断っておくが、瞑想とは幻想の世界を作って遊ぶことではない。それは逃避である。現実のストレスから顔を背ける口実である。瞑想とは、現実と心地よく向き合うために、自信を最良の状態へとチューニングしておく技術である。ストレスを和らげ除去し、日々新品となって、世界へと踏み出す一歩を後押ししてくれるのだ。
 座るだけでなく、歩くことを瞑想とし、それによって心身の健康を維持すること。僕は常々これからは、セルフヒーリングだと思っている。それは長所短所を持つ医療に自分の未来を投げ与えてしまうのではなく、それらとうまく付き合い活かすためにベース作りとしての健康面からの理由だけでない。
 それは世の中には健康維持を目的としたメソッドが数多くあることを通して、世界の多様性を知り、それを吸収できる自分の柔らかさを作り、その柔らかさはやがて世界を柔らかい場所へと変革していく大きな一粒となる。そういった意識の広がりへの可能性も秘めている。
 歩くこと。そこから思い出される体と心に残り続ける太古の言葉にならない記憶を感じ取ること。その感覚への集中による瞑想状態。
僕は京都散歩を楽しみながら、そんなことを伝えたいと考えた。
 碁盤目に広がった京都の町には、道に立ち、その先を見つめれば現れる消失点がいくらでもある。僕はその消失点に向かって歩き出す。深くゆったりと呼吸をとり、肩の力を抜いて歩き出す。一定のリズムと京都の重層的な空気に誘われて、別の世界が立ち上がる。
 さて、僕たちはどこから来たのだろう。どこへと向かうのだろう。歩き続ければ、全ての問いは間も無く消える。消えた瞬間にヒーリングが始まる。


※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#41」は2017年4月26日(水)アップ予定。

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