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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#47 日光浴

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 この夏に、50の身となった。


 早いもので、という気もするし、随分かかったなあ、という気もある。10,20,30,40と区切りの良い年齢はあるけれど、50というのは、半世紀という言葉の迫力もあって、歳なんてどうでもいいと思いつつも、まるっきり無視するのも不自然に思える。でも、本当はどうでもいいのだが、周りは、いよいよですねえ、などと言葉に出さなくても雰囲気で伝えてくる。それに乗って、半生を振り返るような仕草をすれば、割と好きに生きてきたなあと思う。
 フリーランスという職業名以上に自由気儘にどうにか生きてこれたのは、運が良かっただけだと思う。その過程で、私から去っていった人、私から去った関係など、やはり恋愛の思い出というのは、人生の大きな彩りであることには間違いない。遠距離も、超近距離もやったが、程よい距離感というのは、おそらく一生かかっても掴めないのだろう。未来に対してため息をつく思いである。もし、これから誰かと親しくなるのなら、距離感はさておき、日光浴を共に出来るような人と出会ってみたいと小さく願う。


 日光浴というのは幸福な時間である。
 ただ、お日様の光を浴びて、ぼんやりとするのである。
 そもそも、私は随分前から日光浴に親しんできた。大方の場合一人で庭や公園などに座って、ぼんやりとしている。それは子供の頃からなので、随分と年季の入った日光浴者である。何か特別に楽しいわけではないが、幸せなのである。
 言うまでもなく、この星のほとんどの生物が、太陽光線の恩恵を受けて命を繋いでいる。それはずっとずっと昔からのこと。もし、太陽が消えてしまったら、人間などすぐに絶えてしまうのだろう。それ以前に、そもそも太陽の存在を条件にして地球に生命が誕生したのであり、日光浴というのは、その太陽の恩恵をしかと感じ取る上で、これ以上ないシンプルで優雅な楽しみ方ではないだろうか。
 旅行などで外国などに行くと、欧米人はカフェの屋外席に陣取って長い会話や読書を楽しんでいる。彼らは日光を浴びることが大好きで、母国の日照時間の短さも関係しているのだろうが、とにかく日に肌を晒すことが目的でバカンスに出るといってもいいくらいだ。国内でも公園などで時間を過ごす外国人の姿を見ると、わざわざ時間を作って外出し、歩き、軽い運動をし、日を浴びることが、さも人として当然といった感じだ。



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