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天野太郎(横浜美術館 主席学芸員)「美術は近くにありて思ふもの」Vol.3 美術と建築 前編 ゲスト:光嶋裕介

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光嶋「僕にとってブリコラージュはある意味では、自己矛盾なんですよね。我々は図面を用いて作曲しているわけです。作曲してる時点では無数の音楽が自分の中にあって、その中から選び出してるけれど、選び出すためには既にいろんな音楽を知っていて、そのストックがモノを言う。そうした中で、いかにしてどのような決断をするかが問われるのです。だから、設計して確認申請を役所に提出した時点で建築は固まるはずなので、本当はここでクリエーションは、完成してるんです。

でも現場が動き出すと、想定していなかった無数のファクターが出てくるので僕はまた考えて、最良の建築を目指して少しでもアイデアが浮かぶと変更するんです。図面という楽譜は、職人が現場でつくることによって、新しい命を得ます。そのときの予測不可能な部分に対して見て見ぬふりをしないで、素直に修正して取り込みたい。ブリコラージュしたいんです。

設計者は事務所内では作曲家で、とにかく自分の中の音楽を楽譜として書く。でも現場に出たら指揮者なのでもう楽器をプレイしない。ただ超一流のプレーヤー(職人)に音楽を奏でさせる方法は無数にあるわけで、同じ楽譜(図面)を違う指揮者が振ったら違うベートーベンが立ち上がるように、現場で何を引き出すかを常に考えることや柔軟さが一番大事なんじゃないかと思っています。それは森の中で、身体感覚のみで1本の木の棒を拾うプリコルールの感覚と似ているかもしれません。

ブリコラージュと計画性は、予測することに対するスタンスが全く対極的なんだけれども、僕はこの両方の感覚を捨てたくない。そうでなければ、完璧な美術館を予算内で作るとか、そういう数値的に制御可能なところをコントロールするだけになりますからね。そうじゃなくて、設計の中に余白を残す感覚を大切にしています。そしてこのブリコラージュの感覚というのは、天野さんも含めて、みんなが生活してる中で養っていくことができる感覚だと思うんです」

(中編に続く)

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