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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#7 海水浴

7030272

 

その後、現在は沖縄に暮らしているのだが、想像通りに、ここでは海に入れる季節が長い。最初の年は、十二月と一月意外は、海に入った。今となっては、どうかしていると思えるのだが、当時はへっちゃらだった。四年目ともなると、体感がだいぶ沖縄人に近づき、五月から十月ぐらいまでしか入らない。
先週から息子が夏休みに入ったので、最近は毎日の様に海へと行っている。車で十五分ぐらいの宜野湾の海がメインだが、時には北部の本部や今帰仁、南部の南城まで行って、海に入ることもある。
さすがに亜熱帯の沖縄だけあって、海の色が鮮やかで、葉山で過ごした「日本の夏」とは違い、やはり「南国の夏」を感じながら水平線に目を細めている。
日頃から、瞑想やヨガなどをしているせいか、もしくはそれとは関係ないかもしれないが、海に入ると、すうっと力が抜けていくのを感じる。時には、魂さえも抜けてしまうのではないかと。
この感じを、一言で表すと、「海をくぐる」がぴったりだ。入るよりも、くぐるがあの抜けるような心地よさに添う。
私は、海の水が無数に創る水中のアーチをくぐって、おそらく竜宮城に何度も達しているに違いない。
竜宮城?それは亀に案内されなくても、それを感じられれば、そこに行ったも同然、というか、行っているのだと思う。目を閉じて海をくぐれば、わずか一メートル先に竜宮城が何度でも何度でも現れてくれる。
また藤代がおかしなことを、と思う向きもいるだろうが、ああそうだよな、あの感じは竜宮城ツアーだよな、と納得してくれる向きもあるだろう。ともあれ、大切なのは、竜宮城云々ではなくて、海に入ると、何かが抜けて、人は美しさを取り戻せるということ。
きっと経験が誰にもあるはずだが、散々遊んだ後で、夕方に脱力して砂浜にたたずむ男や女達のたおやかな色気は、野生動物の美しさに似てどきりとさせられる。
海と太陽に洗われて、普段はしぼんでいた肌や心が、内側からぱんっと張って伸びやかさを取り戻した姿には、郷愁のような甘さもある。その後に盆ダンスへと転がり行く流れは、子孫繁栄のために多くの花火を打ち上げることになるのだが、この辺の話は今回とはまた別の時に。

(3ページ目につづく)

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