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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#8聖地

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聖地巡りの歴史は古い。東西南北の人類史をぐるりと見渡しても、それぞれに聖地を持ち巡礼するというのは一般的な行いであった。
自分も四国のお遍路参りやスペインのサンティアゴ巡礼に興味津々だが、なかなかそこまでの腰が上がらないでいる。
つるんと生まれた人間も、生活していく中で汚れや澱みを避けては通れない。時々は、心や言葉を離れて、清浄な空気に浸ってみたいというのは、当たり前な思いだろう。
もの心ついた時から、私が神社好きだったのは、内にある汚れや澱みに子供ながらに気づいていたからだろうか?なんだか切ない話だが、子供のつるんとした心を惹き付ける美しさが神社にはあったのだろう、とも思う。穢れを拭うためでなく、誰もが心の芯に持つ純粋さが、故郷を求めるように、神社のような場所へと誘うのだと。
およそ五年ぐらい前からだろうか。縁あって、国内を中心に、聖地と呼ばれる場所を毎月巡り続けた。有名な神社仏閣はもとより、無名な土地にも出かけては、聖地とは何だろう?何故人は聖地に向かうのか?そして、人はなぜ祈るのだろうか?というような答えのあるような、無いような問いと共に訪れを重ねた。美しさに感動してその場から動けなくなるような場所もあったが、がっかりするような所も多かった。
聖地を楽しむ要点のひとつは、その場所と自分とが一対一である感覚を得られるかどうかだと思う。それが上手くいかないと、無駄足になってしまう。聖地巡りが達者な人は、どんな状況でも、聖地と一対一の関係を結ぶことが出来るのだが、そうでない人は、やはり大勢の人がいない時間帯に一人で行くのがいいと思う。その場所に立ち、目に見える物の奥にある、見えないけれど確かにそこに在る何かを感じて、その懐に溶け込むように過ごすのがいいだろう。

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