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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#8聖地

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多くの聖地を巡った感想として、聖地というのは常にデリケートだと思った。産毛のような気配を感じ取るには、こちらもそれなりの状態になった方がいい。心と体を柔らかく保ち呼吸を深くとり脱力。一対一の関係を感じたら、さらに進めて、一体になれるようにイメージするとさらにいいだろう。自分が聖地の一部になったような感覚は素晴らしいものだ。
この夏、八歳の息子と一緒に関西を一週間ぐらい巡った。夏休みを利用した気ままなものだったが、行く先は、聖地と呼ばれる場所がいくつか自然と含まれた。
中でも、奈良の「山の辺の道」では素晴らしい時間を過ごせた。この道は、日本史に残る最古の道として知られ、奈良の都から南へ三輪、金屋へと通じている。
まずは天理駅で下車し、駅裏で自転車を借りて、石上(いそのかみ)神宮からスタートした。かつて神宮と呼ばれたのは、ここと伊勢のみだったということからも、この石上神宮の深みが察することができるが、鎮座する布留山の雰囲気全体が神々しくて、息子の口から「この山の樹は強いねー」という言葉を聞いた時には、子供こそ感じられるのだろうと興味深かった。
神社は、そもそも自然崇拝から始まっているので、本殿や拝殿には目もくれず、大岩や山全体から受ける気配に私は気をとられることが多い。実際には、敷地裏側に回り、樹々と太陽の光が作る世界の側に佇むことにしている。こういう場所は人気もなく、表の騒々しさは届いていても、不必要なものはシャットアウトできるので、森の作る繭に入ったような気になれる。

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