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天野太郎(横浜美術館 主席学芸員)「美術は近くにありて思ふもの」Vol.4 言語を剥ぎ取った先の可能性 中編 ゲスト: TAIGEN KAWABE(BO NIGEN)


天野「何か不思議やなと思いますよ。例えば昨夏開催した『プーキシン美術館展』で展示されていた作品は近代美術で、18世紀から基本的には19世紀以降です。ルノアールなどが自分自身の手で描いた作品なわけですよ。敢えて音楽に例える必要はないかもしれないけど、言ってしまえばレコードみたいなものですね」

TAIGEN「はい、作品ですから」

天野「今の世代の人はレコードを見たことはあるかもしれないけど、第一義的にレコードを知らない人たちはCDも買わなくなってきてるでしょう?」

TAIGEN「はい」

天野「そうするとフォームレスというか、物体として手にしない。時代がそれに拍車をかけてると思うのね。ところが美術は依然として物、フォームなんです。いくらデジタルを使っていても結果として一種のレコードを作っている。そもそも音楽は、レコードも何もなかったときは自分の記憶に留めるしかなかった。美術作品を観る人も自分の目で焼き付けるしかなかった。だけどさっき言ったようにCDも買わない若い人は何でもかんでもデバイスに入れてしまうんですよね」

TAIGEN「それはジャンル関係なしにですか?」

天野「関係なしに。それはむしろ彼らにしたら格好いいことに思えるのかもしれない。これだけ違うものが入ってるんですよという」

TAIGEN「それって日本人に多い傾向かもしれないですね。単純に情報を求める欲が他に比べてとても多い気がします。ウェブでも雑誌でもそうなんですけど、街にも情報が溢れてますし。若者がジャンルレスにデータとしてデバイスに詰め込むというのはとてもわかるというか。今では世界中でもそうなってきてるんですかね?」

天野「世界まではわからないけど、それは一つの傾向としてありそうですね。音楽を受容する方法——ライブなのかCDなのか、あるいは関係なく音源をダウンロードするのか。本来の音はフ掴めないんけれど、さらに媒体としても物ではなくなっている。レコードに対するフェティシズム、CDに対するフェティシズムが今やどんどんなくなっていっているんですよね?」

TAIGEN「うーん」

天野「色々なことがクロスオーバーしていたり、シームレスになってジャンルも混ざっているとは言うけれど、元々美術を勉強してきた人間からすると、依然として美術館には物としての美術を観に行くという行為はどう思いますか、という疑問があるんです」

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