NeoL

開く

天野太郎(横浜美術館 主席学芸員)「美術は近くにありて思ふもの」Vol.4 言語を剥ぎ取った先の可能性 中編 ゲスト: TAIGEN KAWABE(BO NIGEN)

天野「同じことをやってるんだけど、そのコピーする技術はどんどん進んでいて、今はどちらが本物かよくわからないというのがあるんじゃないかと思って。

海外に行ったことない人がインターネットでまず調べるわけですよ。それをダウンロードして、その風景のデータを持って同じ場所を探す。つまりコピーとして自分が認識したものとオリジナルを確認しに行く。そうすると妙なことにコピーとオリジナルの関係が逆転する」

TAIGEN「先に触れるものがオリジナルになる」

天野「そう。しかも風景だったら天気も一緒じゃなきゃ困るかも知れない。『あっ、曇ってるから違う!』って。本当はオリジナルを指して言わなきゃいけないのにコピーに合わそうとする人が出始めている。コピーされたもので世界を認識してるという風になっているように思えるんです。

けれどライブに行くと生身の人間が歌っていて、生身感があって、むき出しになるわけでしょ。それは一回きりしかできない経験です。そこに対する思いが深くなってるのかなと思うんです。つまり人間というのは欲望が尽きない動物なので、技術は進むのでバーチャルでも興奮できるかもしれないけど、そうであればあるほど、生身の物に対する欲望が強くなってるんじゃないかな」

TAIGEN「それはとても感じますね」

天野「本物、一回性のものを世代関係なくみんなが欲していて、コピーに囲まれてるからこそ余計そこに集中してるような気がしなくはない。音楽と美術を受容する人たちの手元で観れる、聴けるという環境が先鋭化すればするほど、生で見てみたいっという気持ちがすごく出てると思うんです」

TAIGEN「それは僕らがイギリスで所属するレーベルのボスも言ってました。これからミュージシャンはレコードではなくライブのギャラで生きて行く時代だと。なのでウチらのバンドが全員日本人、日本語歌詞でありながらイギリスのレーベルと契約したのも、ライブバンドとして魅力的という理由もあったかと思うんです。これからはそういう時代だということですね。

あと、単純にコピーが出回れば出回る程、世界中に広まっていくわけじゃないですか。今は色々な場所でライブをやっていくというミュージシャンの方が強いなって思います。勿論、単純に制作環境でしかできないものもある。MIXなり多重録音であったり、その中で生まれる芸術性もあるので。ライブだと観て触って匂えて(笑)、という感性を全部使うじゃないですか。CDやレコードになると耳しか使わないですよね。ただそれは六感、七感が一感になったというネガティブなことではなくて、一感だからこそ研ぎ澄まされるというか、それでしかできない体験もある。なので、ライブでのパッケージとは別に、聴覚しか使わない違った体験も届けますよというのが僕らがやっていきたいことでもあります」

(後編へ続く)

1 2 3 4

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS