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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#52 ことば

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 記しながら、整理できるに越したことはないが、それはマストではない。頭の中にある物事をとにかく出し切ることが大切なのであって、整理はそれが済んでからでいい。頭の中になかった事柄も、最初に書き出したことが誘水となって芋づる式に釣られて出てくることもあるが、そういう時も、出るがまままに任せてしまう。たとえ、支離滅裂のようでいても、後から冷静に観察していると関連性があったり、その関連を見つけることで、整理が進むこともあるので、繰り返すが、とにかく躊躇せずに出し切ること。
 その結果、頭の中が空っぽな状態が作れる。頭が軽いというのは、かなり生きやすい。自分の思考によって、文字通り頭でっかちになって、常時、知恵熱に苦しまされている状態に陥りやすのを、簡単に解決してくれる。
 頭の中にスペースが生まれ、そこに何が入っていたのかがわかっていると、厳選されたトピックスについてしっかりとエネルギーを注いで思考できるようになる。案件の多さにうろたえたり、押しつぶされそうになるのを防いでくれる上に、最短距離と最短時間で取り込めるチャンスが生まれる。この場合、回り道が近道であることになるのだ。闇雲に力任せに推し進めるのではなく、全体を把握して取り組めるというのは、心地よく、仕事とプライベートの境も明確になるので、それらが混然となることを避けられる。
 思い浮かぶことを、片っぱしからメモを取るだけで、特別なスキルも要らないこの方法は、生活のベースの一つとなっている。
 ここまで記してきたことは、頭の中の言葉を外に出し、それを書き留め、自分の思考整理をすることについてだった。


 ここからは、ことばの在り方について少し記してみたい。
 本音とタテマエを使い分けながら、私たちは関係を潤滑に進めていることが日常となっている。言いたいことを飲み込んで、目の前の事象を過ぎゆかせている。全ての思いを吐き出すように、本音で生きていけたらどんなにか楽だろうと小さく願うことがあるかもしれないが、実際それを実行しようと踏み切らないのは、結局面倒臭いことになるからだろう。ちょっと想像してみれば、本音をぶつけ合う世の中というのは、そこに至るまでが大変で、その労力を天秤にかければ、やはり小さな本音ぐらいは飲み込んでしまうのが、賢くもある。こういうことは、生きていく上で多かれ少なかれ持たざるを得ないスキルであることは、もはやわざわざ言うまでもないだろう。滑らかに角をたてずに意見や価値観の相違を認め合うということである。
 ただ、ここで問題にしたいのは、対外的な本音とタテマエのことではなく、自分の中に本音とタテマエ以上の分裂があることについてだ。


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