NeoL

開く
text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
#18 サガリバナ




 20時過ぎにスマホの電源を入れると、ニュースアプリから都知事選の結果が表示された。
 もしかしたら、という微かな期待は一瞬にして消え、現実の重苦しさが戻ってきた。現職が史上二番目の得票数で再選されたことは、もはや別の星の出来事のようで、わたしは住む場所を間違えている、と確信した。
 電車に乗り、車内を見渡すと、車両に居合わせた人の半分は選挙に行かず、残りの半分は選挙に行ったが、そのうちの60%以上は、わたしとは意見が違うのだと思い、居心地の悪さを感じた。
 さて、いいかげん、こんな街とはおさらばだな、と強く決心したが、おそらく来週になれば、うやむやになってしまうのも分かっていた。


 仕事、人間関係、思い出。この土地に住んで15年の間に、もはや離れ難いほどに、東京に根付いてしまっている。沖縄から出てきた時は、あれほど刺激的で輝いて見えた東京が、今はなんだかくすんで見えている。この土地の輝きは、全国から集まってくるわたしのような地方出身者たちが、祭りをする時に掲げる松明みたいなものだと、今では気づいているが、あの時は、自分の未来と重ねて、ただ眩しく見えていた。


 東京とは、有権者が選挙に行かない街。


 そんな愚痴もつきたくなる。これまでの最高投票率は1971年の72パーセント。それでも行かなかった人は3割もいて、結構多い。そして、今回は55パーセント。前回よりも下がっていて、半分近くは、自宅からそう遠くない投票所に向かわないのだ。
 ある女性ミュージシャンが、選挙に行かない理由がわからない、とツイートしていたけど、わたしには理由くらいは分かる。面倒くさい、どうでもいい、どうせ変わらない、だろうと思う。

 いっそ、義務制や罰則規約を整えてしまえばいいじゃないかとも思う。そういう国は結構多くて、オーストラリアは罰金があるし、シンガポールは選挙人登録が抹消されたりするおかげで、常に90パーセント以上の投票率だ。
 民主主義なんだからさあ、選挙行こうよ、という憤りを感じなくて済むような、そんな選挙を経験してみたいものだ。90%を超える投票率から選ばれた人なら、意見は違えども、民意だし、まあ仕方ないなと積極的に前を向けるのだけど、有権者数の半分以下の得票で選ばれた人の、総意を得たような振る舞いには、居心地の悪さしか感じない。
 ラオス、ベトナム、ルワンダ、これらの国は義務も罰則もないくせに、投票率は100%にかなり近いというのは、驚異だ。これらは歴史的な背景もあるのだろう。植民地時代や独裁者の圧政、戦争などの理由から、常に国民が監視の目を光らせているのが常態化しているのかもしれない。
 まあ、いずれにせよ、東京、いや、日本の投票率の低さの理由の一つは、「誰がトップに就いても、何も変わらない」というムードが常識化しすぎているからだ。そんなことないのにな、とわたしは思うのだけど。
 こういった選挙後の後味の悪さを残しながら、わたしは前から楽しみにしていた帰省を果たした。実に3年ぶり。親不孝もいいとこだが、羽田から片道1万円で行ける時代には、言い訳も1つ減り、ただなんとなく遠のいていたのだった。


 沖縄には、いつか帰る。同じ時期に東京に出てきた仲間たちは、みんなそう言っていた。そして、ほとんどその通りになっていて、わたし以外は東京生活を終わらせて、みんな沖縄に帰っていた。
 もう十分楽しんだからと誰もが口にしては、あっけらかんとした笑顔をスマホの中で浮かべるのだった。彼女たち、彼たちは、まるで修学旅行から戻るかのようで、いわゆる青春を預けた大都会の生活さえも、長めのディズニーランドツアーでしかないようだった。





 わたしはといえば、さすがに現役東京在住者として、まだまだ東京に未練があって、やり残した感が、たっぷりあるのだった。わたしには具体的な夢というか、希望があって、それは沖縄県民以外の人と、できたら東京の人と結婚して、沖縄に戻らないという夢だった。そして、その夢は、わたしの記憶にある一番古い夢でもあった。
 わたしは、なぜか、小さい頃から沖縄人をやめたいと思っていたのだ。それは、ある人達にとっては、総理大臣になりたい、ワールドカップに出たい、となるような素朴な夢で、少なくとも沖縄に対する不満からではなかった。ただ、遠くに行ってみたい、知らない生き方をしてみたい、それだけのことだった。
 だが、この幼い頃の夢はしつこくて、三十を過ぎても、なぜか風化せずに私の種火のように残っていた。
 そして、この離郷心は、やがて肥大して、日本人をやめたい、に繋がっていく。
 そう、いっそ東京人を辞めるを超えて、日本人を辞める、をやってみたくなってきた。わたしの信頼している従兄弟のお兄さんに、そんなことを冗談ぽく伝えると、割と真顔で答えてくれた。LINEでのやりとりだったけど、わたしには従兄弟の真顔が見えたのだ。


「どこへ行ったって同じだよ」


 わたしは、そうかもしれない、と信頼する従兄弟の一言を受け止めた。
 どこに行っても、良い人も、悪い人もいる。差別もある。犯罪もある。寄付もある。政治もあって、選挙もあって、不満と喜びもある。消費税があって、スーパーの特売日があって、待機児童がいて、動物愛護があって、有機栽培があって、除草剤、不法滞在、ホットヨガ、万引き、日曜の礼拝、断食、部活、不倫などが、ごろごろある。どこにいってもこれらはあるのだ。つまり、どこに行っても、そこに人間の集団がいる限り、だいたい同じ図式が待っているのだ。日本人でも、カナダ人でも、ブータン人でも、スーダン人でも、結局は、不満と発散と、充実と倦怠を行き来しながら、ライフゴーズオンなのだ。
 この前、Netflixでステーヴン・アオキのドキュメントを見て思ったのだけど、立ち止まると考えてしまうから、常に動き続けているっていう彼の生き方は、ある意味正しい。人は停滞時に考えてしまう。そして考えることは、基本的に悪いこと、恐怖心から逃げることを考えるはめになる。快楽は恐怖心のおもての面だ。でも、アオキのように、一年に300日も飛行機に乗っているような生活は無理だけど、せめて、心はそんな風にどこへでも自由に行けるようにしておきたい。
 だから、わたしは沖縄を離れ、そして、東京を離れてしまいたいと思っている。さっさとどこへでも行けばいいじゃん、ときっと言われるだけなので、さっさとそうしようと思う。
 従兄弟の言うように、どこへいっても同じならば、なおさらここにい続ける理由が分からない。どこも同じだから、ここにずっといようとする人たちとは、わたしはきっと別のコインなのだ。
 でも実際のわたしはそんな勇気がなくて、沖縄から東京へ出てくるだけでも、十分な大冒険であった。人生の勇気と運を全て使い果たしたような気さえしている。


 沖縄に戻った次の夜に、中学校時代の同級生4人と近所の公園に集まった。学生時代には、部活後のふわりと緩んだ時間を、その場所で過ごしたものだった。時には親の許しをもらって、夕食後に集り、持ち寄ったお菓子や飲み物で、ゆっくり過ごした。
 わたし以外は、全て子持ちになっていて、それぞれの近況や旦那への愚痴で盛り上がった。いつしかその愚痴は、人生相談へと繋がっていき、わたしも東京を出ることについて語ってみた。友達は、わたしが沖縄に帰ると勘違いして、喜んでくれた。わたしは、あえてそれを否定せずに、ただ微笑んでおいた。
 ところで、選挙には行ってる?
 浮いた質問になるのは知っていたけれど、なんとなく、聞いてみた。前回の県知事選の投票率は63%で、今回の都知事選よりは高いが、褒められた数字ではないことは既に知っていた。そこにいた4人は、もちろん、と答えた。だって自分たちに関わることだからね、と。
 ね、そんなことより、サガリバナ見に行かない?
 誰かが、口にしたのを合図に、全員立ち上がって、50メートルほど先にある湧水口まで歩いた。
 頭上に広がる木の枝から地面へと伸びた蔓にぶら下がるようにして、サガリバナは咲いていた。大人になって改めて見るその花は、やけに色っぽくて、なんだか胸騒ぎさえした。中学校時代にも綺麗だと口々に言い合ったのだけど、あの時は花なんてどうでもよかった。夜に友達と一緒に過ごしている意味の方が大きかった。
 三十半ばの女たちは、それぞれに何かをサガリバナに感じながら、言葉少なにその美しさに魅入った。
 東京には、あるの?サガリバナ。
 どうだろう?見たことないな。あるかもしれないけど。
 沖縄にはソメイヨシノがないし、場所が違えば咲く花も違うよ。
 日本も広いよね。


 わたしは、黙ってサガリバナを見つめた。投票率とサガリバナ。わたしは、東京を出れるのだろうか。
 
 
 





#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア


藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS