NeoL

開く
text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
#17 ブロメリア




 仕事を失ってから、三週間目に入っていた。
 務めていたタイ料理屋は、テイクアウトで凌いでいたが、店をやめるとオーナーが決断して、わたしも放り出されたのだった。
 女4人体制で、どうにかやっていたカウンターだけの小さな店だったので、こういう状況になってもテイクアウトで採算は取れていたはずだし、むしろ面倒な客の相手が省かれた分、仕事は楽になっていた。
 仕込み、調理、ケース入れ、陳列。
 要は、これを毎日繰り返し、販売時には顔半分でマスクを隠していたので、なんだか新しい仕事をしている新鮮さもあった。顔を隠して働くのは、横柄な客には口パクで馬鹿野郎とか罵れるので、面白かった。
 あとは、目で微笑むことを覚えたのも良かったことだ。
 笑顔は口元での表現が大切なんだと思い知ったが、口元が使えない分だけ目で笑うことが上達し、女優っていつもこんな感じでトレーニングしつつ、暮らしているのだなとも思った。
 あとは、イスラム教徒の女の人たちの感じが想像できたのも良かった。イスラム教徒といっても、完全に顔を薄い布で覆ってしまう原理主義派ではなく、そのひとつ手前くらいの感じだ。わたしは、世界から半歩下がって生きているような気になったが、イスラムの女の人たちは、生まれた時からそうなのだから、わたしとは違う感覚なのだろう。


 わたしが解雇されたタイ料理店のオーナーの美鈴さんは、その後埼玉の実家に戻ってしまった。埼玉といっても、狸が棲むような、かなり田舎の方なのだと聞いた。
 美鈴さんの、あっけないほどの身の振りの早さに、わたしは正直理解が追いつかなかった。五年続いたタイ料理屋は、雑誌にもよく取り上げられたり、名物カオマンガイのイラストが描かれた店の壁は、インスタでもよく背景にされた。まずまずの成功店だと言えただろう。小さな店で客の回転もよく、品数が少なかったから調理も楽だし、フードロスもほとんどなく、わたしも自分の将来の夢のひとつに、美鈴さんの成功をなぞったりしていた。
「だって、一生カオマンガイやっていくつもりはないし、そもそもカオマンガイってタイの大衆の味と思われてるけど、元々は中国の地方料理だからね」
 美鈴さんは、わたしの素朴な質問にそう答えてくれたのだが、その時の彼女の表情が清々しかったのをよく覚えている。ああ、この人はまったく未練がないんだな、とわたしは驚いたのだ。
 すでにそこそこの成功を収め、知名度もあり、イメージも良い店ならば、そのまま全てを売り渡すことも可能だったはずだ。それによってさらに利益をあげて、小規模な勝ち逃げも狙えただろう。なのに美鈴さんは、ただ単に閉めてしまったのだった。もしわたしに資本があったなら、そのままオーナー店長にシフトしていたと思う。だが、あるべきものはなかったのだから仕方がない。
 美鈴さんは、ちょっと変わった部分もあった。39歳なのに、40歳だと自称していた。わざわざ一つ上に乗せていたのだ。私は33歳だから、30代女の中途半端さと、外見的に若い気でいられる最終コーナーだという事実の両面から、なんとなくその年代を嫌う感じは分からなくもない。でも、だからといって、その一つ上にサバを読むのは、よく分からない感覚だ。
 美鈴さんは、人間的にも、女としても、わたしの身近な憧れの存在だっただけに、埼玉の実家に引っ込むということも不思議でしかなかった。
 最後の営業日は、本当だったら何処かで打ち上げをするつもりだったらしいが、そうもいかず、店の厨房で、マスクをつけたままで乾杯した。女四人が目だけで微笑み、小一時間ばかりの打ち上げとなった。
 それ以来、美鈴さんとは不通で、わたしは時々思い出していたけれど、こちらから連絡を取ることはなかった。




 
 なので、先週いきなり美鈴さんから電話があった時には驚いた。
 埼玉の実家に遊びに来ないかという誘いだったことに、さらに驚いた。そもそも従業員だった時でさえ、遊びに誘われたことは一度もなかったからだ。
 そして、美鈴さんの快活な声に黙って頷いているうちに、次の火曜日の朝10時にわざわざ車で迎えに来てくれることになったのだ。他には誰も誘っていないと美鈴さんは、小さな秘密を打ち明けるような声色で言い、わたしはそれに対して、無機的な返事をしておいた。



 当日、時間ぴったりに美鈴さんは現れた。
 最寄りの入り口から高速に乗り、美鈴さんの実家へ到着したのは正午近くだった。
 tachibana plantsと書かれた大きな看板は、真新しく、その趣味から察して美鈴さんのデザインだと思われた。タイ料理屋のロゴや看板と通じる大らかで温かさのあるセンスだった。
ご実家は、植物屋さんだったのですね、とわたしが呟くと、ええ、観葉植物の生産を祖父の代からやっているの、と美鈴さんは眩しそうな顔をして答えた。相変わらずマスクをしているが、彼女の晴々とした気持ちは、目からよく伝わった。
 出迎えてくれた美鈴さんのご両親は、言葉数こそ少ないが、優しさが雰囲気全体から滲み出ていて、こういうのは失礼かもしれないが、いかにも田舎で植物と暮らす人という感じがしていた。
 美鈴さんとご両親の三人は、5棟ある温室を案内してくれた。
 棟ごとに、植物の種類が異なり、風通しや温湿度を種類に合わせて管理しているのだという。
 「うちは、もともと祖父が役場務めの傍らで始めたサボテン趣味から始まっていて、それこそ100年を超える株もまだあるの。もちろん、祖父がどこからか譲り受けた時にはすでに高齢な株だったとは思うけど、」
 そう言いながら、メインのサボテン棟に入ると、蒸し暑さに驚いた。思わず顔をしかめたわたしを見て、お父さまが、ひひひと笑ったが、なぜかひひひという音の割には、下品な感じがなかった。
 3人は、わたしを連れ回し、全てを見終える頃には、汗だくになっていた。
 母屋の縁側に座って休んでいると、大きな鎌倉彫風なお盆で運ばれてきたのは、氷イチゴ練乳がけだった。わたしの一番好きなかき氷だったのもあって、夢中で食べていると、お父様が、ひひひと再び笑った。



 美鈴さんがわたしを実家へと連れてきたのには、明快な理由があった。
 わたしにその植物生産園で働いてもらうためだった。
 虚を突く申し出は、まずお母さんの口から、次にお父さんの口から、最後に美鈴さんという順番で発せられ、わたしは思わず俯いてしまった。正直植物には、全く興味がなかった。田舎暮らしにも全く興味がなかった。いわば眼中になかった分野からの、いきなりの申し出だった。しかもお世話になっていた美鈴さんと、その両親とからとなれば、うまく取り繕って断ることもできずに、ただ無言になってしまうのも無理はなかった。
 美鈴さんは、わたしの無言の意味をしっかりと理解していたようだ。その目を見れば分かる。
 なんとなく気まずい雰囲気になったのを察して、美鈴さんは縁側の端に置いてあった植物を指差して、これ知ってる?と聞いてきた。初めて見ました、と伝えると、これあげるから、花が咲く頃までには返事をもらえる?条件などは後でメールしておくからと結局仕事の話に戻ってしまった。



 その植物の名前はタンクブロメリア 。壺状の形をしていて中央部に水が溜められるようになっている。花は、その溜めた水の中から天を目指して突き出てくるのだという。
 


 わたし、植物のこと全然知らないんですけど。
 これだけの言葉を出すのにどれほど勇気がいったことか。お父さんは、ひひひと笑った。お母さんは、ただ微笑んでいた。
 大丈夫よ、あなたは飲み込みが早いし、仕事もできる人だって、わたしは知っているから。
 わたしは、それはタイ料理が好きだったからです、と言いかけもできなかった。植物の生産は、結構きつそうだし、なんたってあの温室の熱気は身体的に無理だと思う。わたしは、ないな、とわかっていたのに、それが口から出てこなかった。
 わかりました、少し考えさせてください。そういってペコリと頭を下げた。





 いただいたブロメリアは、わたしの部屋のベランダにいる。
 そろそろ花が咲きそうだ。つまり、そろそろ断りの連絡をいれなければ。
 だが、一方で、何かすっきりしないのも確かなのだ。金銭面での条件は悪くはなかった。タイ料理屋での条件よりも少しいいくらいだった。だが、田舎に住み込みというのも引っかかっていた。
 東京には、もう15 年も暮らしている。たまには離れるのもいいかもしれない、と心の何処かで思っていた。それに、そうなったとしても、また東京に戻りたくなったら、戻ればいいのだけのことだ。どうってことない。
 33歳。恋人もいない今が最後のチャンスなのかもしれない。
 わたしは、自分でも思いがけずに揺れ始めていることに驚いた。
 少しだけ考えることを中断して、タンクブロメリア を眺めた。いつも、自分にとって新しいことを選んできたつもりなのに、躊躇しているのはなぜだろう。植物に興味がないから、というのが真っ当な理由なのだが、何か腑に落ちない。
 心が老けたか?おばさんになったのか?事実、それは少しあるのだろう。



 ソーシャルディスタンス、新しい生き方、脱中心。
 だからといって、田舎での植物暮らしが、それになるのだろうか。
 なんだか違う、と心の本音が訴えている。だが、なんの興味もないことを一生懸命やることも、人生の中では意味があるのかも、と小さなざわつきがあるのも確かだった。
 ふう。わたしは、そうはっきり言葉にしてから、ため息をついた。

 結局、わたしは勇気を出して、断りのメールを送った。
 揺れていたことも正直に伝えた。美鈴さんからの返信は30分もせずに届いた。突然で強引な誘いを詫びた内容だった。それを読んでいたら、やはり申し訳ない気もした。美鈴さんは、働き口がなかったら、いつでも来てください、と結んでいた。
 ふう、とため息をついた。
 新しくない生活かもしれないが、ここで頑張ろうと思った。
 ブロメリアを見つめた。





#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2


藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS