NeoL

開く
text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
#49 アメリカの床



今回は、愛しの旦那のことについて話します。
そう言って、長野幸子は小さな咳払いをした。好きで入ったスピーチクラブだが、自分の番になると、いつも多少なりとも緊張する。そろそろ緊張しなくなる頃では、と長野は自分の番が新たに巡ってくるたびに期待してきたが、まだ一向に慣れない。それでもクラブに入った2年前よりは、かなり緊張しなくなったのは事実だし、その成果が継続へのモチベーションになっていた。

 
わたしには、2歳上の旦那がいて名前は長野陽介。長野県長野市出身。
幸子がさらっと歯切れ良くそう言うと、集まった十数名の参加者たちから、小さな笑いが立った。
うん、上々の出だしだ。こうやってまずは軽く場をほぐし、自分もリラックスすることができた、と長野幸子は内心ほっとした。目の前の台上に角度をつけて置かれたiPadには、この後の流れが書き留めてあるが、しっかり練習してきたので、序盤では見る必要はなかった。

 
わたしは、この長野陽介と結婚生活20年を今年迎えるのですが、いまだに愛しの旦那と言えるくらいに大好きで、ほんとうに長野陽介に出会えてよかったと、日々感じています。
聴衆からは、驚きの意味がこもった「へえー」がいくつか起こり、それぞれ微妙にニュアンスが異なっていたが、つまりは概ね感心と揶揄の配合の違いであった。それらの反応は、幸子の想像していたものであった。人の幸福というのが、憧れと嫉妬の感情を引き起こすのは、あらゆる日常の場面で散見できる。そして、それはスピーチの場でも起こり得る。それだけのことだった。だが、こういったキャッチはスピーチには必要なテクニックだ。一般的ではないと思わせるような何かがあると、そのフックで話を走らせることができる。

 

長野陽介の職業は、フリーランスのインテリアコーディネイターです。店舗や自宅、公共の場、オープンエアの施設などを主に手掛けています。一応カタカナの職業なので、一見華やかに聞こえますが、実際はかなり地味な仕事で、アパレルショップやヘアサロンなどのお洒落な空間のフルコーディネイトも、もちろん手掛けますが、メインは観葉植物のセレクトのみとか、一部改修の相談だったりとか、比較的小さなお手伝いもこなさないと、やっていけないのが現状です。
いきなりプライバシーを開示するような内容に、聴衆から身構えるような雰囲気を感じ取った幸子は、計算通りだと思った。核心部ではないものの、スピーチの本気度を伝えるには、台所事情をほのめかすのが一番だ。人は他人の財布の中身が気になっている。

 
わたしには、インテリアコーディネイトのセンスも興味も無く、どちらかといえば、没個性でコスパ重視な傾向があるので、長野陽介の物選びと空間構成への熱意には、正直過剰さ、もっと言ってしまえば、無駄とすら思えています。夫婦というのは相反する個性を
持つカップルと、同じ方向へと歩んでいるカップルの、二つのタイプに分かれると思いますが、わたしたち夫婦は完全に前者だと言えます。
持ち時間10分のスピーチの序盤は、こんな感じで一旦落ち着きを見せていた。旦那への想いと、紹介、2人の関係性の説明が終わり、さてここからどう聴衆をさらに巻き込んでいけるのだろうか。幸子の胸の中に、再び緊張が微かに芽生えた。

 



長野陽介は、もともとはインテリア商材のバイヤーとして、主にアメリカで買い付けをしていました。彼の二十代はほぼそれに費やされていたそうです。この頃はまだわたしと出会っていなかったので、彼が実際どんな生活をしていたかは、彼の口から語ってもらうしかないのですが、実際長野陽介は、多くを語ってはくれませんでした。単純に昔話が好きではないようでしたし、他に語りたく無い理由があったのかもしれません。それでも、情報量の極端に少ない回顧話の途中で見せる表情から、それが彼にとってどんなに大切な、そして楽しい期間だったかをわたしは知ることができました。
今、彼は神楽坂の外れに作業所兼事務所を構えているのですが、もともと印刷所の入っていた古い四階建のビルは、サイズ感が業種的にかなり大きくて、アメリカを思わせるものです。そこの南東角部屋が彼の選んだ場所なのですが、東向きの窓からは日光が燦々と入り、その光はフローリングの床に反射して、対角の天井をも照らすほどなんです。
床に貼ってある床材は、アメリカから運んだ古材です。それは床に敷き詰めると、完全にフラットな木の床となって、日本のフローリング材と比べて反射率がとても高いのです。
長野幸子は、ここで間をとって聴衆を右から左へとゆったりと見渡した。予想通り、日本のフローリング材とアメリカのそれとはどこがどう違うの?といった疑問を表情に浮かべている者がほとんどだ。
うん、そうそう、そのリアクションが必要なのだ。


日本とアメリカのフローリング材の違いは、センチとインチの採寸サイズに違いもありますが、それよりもフォルム上の決定的な違いが、ここでは大切です。これは、言われてもほとんどの人が気づいていないと思いますが、アメリカの板は、角がしっかり90度に残してあるのに対して、日本の板は、その角を45度に削ってあるんです。これによって
板通しを組み合わせた時に、アメリカのものは完全にフラットな床を作れるのですが、日本のだと、床に阿弥陀くじのような、阿弥陀模様が入ってしまうんです。これが反射率を落としてしまう原因ですね。
聴衆の反応は割れた。ああ、なるほどといった表情の者は半分ほどで、残りの半分は、いまひとつ理解ができないか、理解はできても、それがどうした?といった無関心に流れていきそうな者たちであった。
フローリングの話なんてかなりニッチだし、さらに反射率などとなれば、一昨日の新聞のような価値しかないとしても仕方がない。

 
わたしは、アメリカのフローリングに反射した光の美しさを語るときの長野陽介の無邪気で屈託のない優しい表情に惚れたんだと思います。それはわたしにとって生まれて初めての一目惚れで、彼の純粋な部分に触れたことで胸が打たれたようでした。
ここで聴衆は再び話のスピーチのグリップを握り直させられた。なんだかよくわからないニッチなうんちくから、大好きな他人の恋の話になったのだから。


長野雄介の魅力は、子供のような無邪気な純粋さと、重い商材を扱ってきたことによって鍛えられた逞しい肉体とのアンバランスが生む色気にあると思います。そう、たとえれば優しいクマさん、そして夜になると、危ない豹にもなる逞しさです。
長野幸子は、危ない豹のところで笑いを取るつもりだったが、聴衆からはそんな気配はなく、むしろ怪しい豹と幸子が絡みあう生々しい肢体を想像してしまったかのようだった。


長野陽介は、二十代の頃に、アメリカのフローリングに反射する光と出会うことで、以降、光をどう扱うかを常に考えるスタイルをインテリアコーディネイトに持ち込みました。
彼は、まず特定の空間のおける採光を注意深く観察します。必要であれば、日の出から日没までそこに居続けて、観察します。採光は必ずしも方位の問題だけではなく、周囲の建築物などの環境からどんな影響があるかまで見ます。場合によっては、ガラス張りのビルからの硬い光が有無を言わせず侵入する可能性だってあります。目の前が公園だったら、ふんだんに光が入るでしょうが、それは望んでいない光量かもしれません。長野陽介は、まずは丹念に光を観察し、しっかりと把握できてから、クライアントとミーティングを重ねていきます。
光は全てを支配します。その光に合う植物、材、色、デザイン、音場、それらの構成要素をクライアントに意向を踏まえつつ、リードしていく。その一連の流れは、それだけでクリエイションと言っていいかもしれません。なにせ環境を生み出しているのですから、
ある意味、作庭家と相通じるものがあります。作庭には、風という空気の流れが加わりますが、それ以外は、結構共通しているものだと思います。
ここで、幸子はいったん聴衆と向き合う時間を作ることにしていた。





ここまでで何か質問ありますか?どんなものでも構いませんので、気になったことがあったら尋ねてください。
ここでさっと手を挙げた人がいた。三十代前半と思われる男性で、初めて見る顔だった。おそらく誰かが連れてきたのだろうが、その連れてきた誰かまでは分からなかった。


「あの、ご主人の長野、えっと、陽介さん?でしたっけ。」

「はい、陽介で合ってます。」
「あ、はい、そのご主人が光にとても拘っていることにとても興味というか共感を持ったのですが、実際幸子さんと暮らしている家は、やはり光に拘っているのですか?だとしたらどんな家なのか、差し支えなければ教えていただけますか?」
「はい、わかりました。ご質問ありがとうございます。ちょうどこのあと、それも話そうと思っていたので、では続けさせていただきますね。」


結論から言うと、うちは普通のマンションです。間取りは2LDKです。そんなに大きくもないですが、小さいわけでもなく、2人暮らしには、事足りてます。
リビングの窓は南向きで、向かいには別のマンションがあり、普通の採光と言えるでしょう。光に拘る長野陽介としては物足りないはずですが、本人は一向に気にしてないのがわたしにも驚きでした。一度そのことが2人の話題になったことがあるのですが、彼はそのままの光を愛することができるのだそうです。
光に嘘はない、というのが長野陽介の口癖ですが、どんな光でも彼は愛せるのだと言うことですね。どんな子供でも親なら愛せるのと似てるかもしれません。
幸子は自分で言っておきながら、どきりとした。どんな子供でも親は愛せないと知っているからだ。自分が親になったことはないが、自分はかつて子供であったからそれが分かる。三人姉妹の真ん中で、可愛くもなく、頭も良くなかった自分は、長女と三女に挟まれて、愛は三等分以下ももらえなかった。


長野陽介がどんな光でも愛せるというのは嘘ではないんですね。彼の愉しみは、何よりもリビングでぼんやりしながらその時の目の前の光を眺めている時なんです。うっすら微笑みながら光を見ている彼の姿は、妻ながらやばい男に惚れたもんだと思います。
ここで、どっど笑いが起こったのは意外だった。そんなに面白いことを言ったつもりはないのに、聴衆の反応を嬉しく思いながら、きっと伝えたいことってすれ違いなんだろうなと、心の奥で感じた。

長野幸子の、長野陽介についてのスピーチはその後5分ほど続いて終わった。
「今回は愛しの旦那について話します」から始まった旦那賛歌は、滞りなく終点まで辿り着いたのだが、結末は意外なものとなった。


確かに、愛しの旦那なのですが、最初の頃の愛しさほど、愛しくないのは何故でしょう?長野陽介は、ほとんど変わらないまま、相変わらず光を愛して、仕事に励み、優しくて、クマさんのように逞しいです。ただ、以前ほど愛しくないのは、何故でしょう?
ただのお惚気スピーチで終わるはずのものが、思わぬ変調を見せ始めたが、聴衆はこれもユーモアなのだろうと様子を見ていた。


なぜ結末にこんな独白めいたアドリブを加えてしまったのだろう。幸子は、余計な一歩だったと悔やんだが、負荷は意外になかった。
愛しさがいつか萎んでしまったら、彼は何も悪くないのに、わたしの中の彼への愛しさが消えてしまったら。
幸子の表情が冴えないのに気づいた者たちから、これはユーモアではないと察するムードが漂い始めた。
そのまま無言になってしまった幸子。それでも最後にすごいオチがあると期待して待つ聴衆。その間で、何かが蠢いているのだが、自力ではどうにもならないようであった。


旦那さんと、一緒に光を眺めていればいいんだよ。
目の前の正面に座っていた初老の男が、薄くなった頭を撫でながら、幸子にそう言った。聴衆から微かな笑い声が立った。温かいものだった。

 
光か。
わたしは、光を眺めていられるだろうか。
春の風が吹く銀杏並木を歩きながら、今頃、光を眺めているかもしれない旦那を、それでもまだ愛おしく思うのだった。





藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある。


#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
#27 岸を旅する人
#28 うなぎと蕎麦
#29 その部分の皮膚
#30 ZEN-は黒いのか
#31 ブラジリアン柔術
#32 貴様も猫である
#33 君の終わりのはじまり
#34 love is not tourism
#35 モンゴルペルシアネイティブアメリカン
#36 お金が増えるとしたら
#37 0歳の恋人20歳の声
#38 音なき世界
#39 イエローサーブ
#40 カシガリ山 前編
#40 カシガリ山 後編
#41 すずへの旅
#42 イッセイミヤケ
#43 浮遊する僕らは
#44 バターナイフは見つからない
#45 ブエノスアイレスのディエゴは
#46 ホワイトエア
#47 沼の深さ
#48 ガレットの前後

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS