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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
#39 イエローサーブ




朝起きて、数少ない服の中から、ちゃちゃっとコーディネイトして、身につける。普段から、「わたしはファッションに興味がなくなったから、」と人に言っているけれど、選ぶってこと自体がすでにファッションだよな、というツッコミが頭を過ぎる。
衣食住、それぞれにデザインとか、チョイスとかあるけれど、そういうのに飽きたのは事実だ。それは消費活動に疑問を持ったとか大袈裟ことではなく、むしろ旺盛だったわたしにとって、品を選び、購入し、楽しむ、という一連のサイクルが、単に魅力的ではなくなったということ、飽きてしまったのだ。
タイミングとしては、出産後。慣れない育児に身も心の削られているうちに、次第に消費の愉しみから遠のいて、気づけば興味を失っていた。育児が落ち着けば、そういう欲望は戻ってくるだろうと思っていたけど、結局まだ戻っていない。
この結果、買い物だけでなく、友達と飲んだり、旅行したり、映画をみたりとか、あらゆる欲望がしぼんできてしまっている。もはや終活者のようだ。浮世の遊びを遊び尽くすという建設的な暇つぶし心が、今のわたしには欠如してしまったのだ。
だけど、対処法なんてなく、待っていた電車がホームから発車していくのを、ぼんやり見送る様に、人生も見送ってしまう様でおそろしい。
 

先日、わたしの友人が、10年近く乗った古いボルボから、サーブのターボに乗り換えた。黄色い車体を撫でながら、こいつが向こう10年の相棒じゃ、と彼女が嬉しい時に語尾に添える「じゃ」を強調して告げた。わたしは、この人は消費活動の愉しみの真っ只中にいるんだなあと、羨ましく感じた。
凝り性の彼女らしく、川崎のショップからわざわざ買ったのだと言う。彼女によれば、そこは日本でも指折りのサーブショップなのだとか。たしか10年前もボルボを撫でながら同じ様なことを告げていた気がする。買い物にあたって、とことん調べ上げ、比較し、吟味して、納得した上で決断するというプロセス自体が、遊びなのだと彼女はよく告げた。彼女とは趣味が合うから、わたしは彼女が選んだものを、そのまま真似することがこれまで多かった。カトラリーや、自転車、ジョギングシューズなどなど、ベストアイテムを探す手間が省けていい反面、プロセスを楽しむということは放棄することになるが、わたしは面倒くさがりなので、それでよかった。消費の楽しみはいろいろだ。


「西島の車なんだよ、これ。」
「西島って、誰?」
「知らないの?俳優の西島だよ。」
「ああ、あの西島ね」
「いや、西島というよりも、家福の車っていうのが正解かも?」
「カフク?誰よ、それ」
「忍、まだ観てないの?ドライブ・マイ・カー。」
「ああ、映画のね、まだ見てない。だって村上春樹でしょ?原作」
「え、忍は、村上春樹、嫌いなの?」
「うん、まあね。あれ、悪いけど、嫌い。生理的にね」
「へえ、アメリカ人にも人気なのに、日本人でも嫌いな人、いるんだ」
ジェニーは、日本育ちのハーフで、英語が下手なくせに、都合よくアメリカ人になることが多い。
「だって、ヘミングウェイとか嫌いなアメリカ人だっているでしょ?それと同じだよ」
「ヘミングウェイって、読んだことないアメリカ人、多いよ。でも村上春樹を読んだことのない日本人て少ないでしょ?」
むきにはなってはいないが、珍しく、くっついてくるな、と思った。そもそもジェニーが村上ファンだとは知らなかった。わたしは、話をちょっと逸らすことにした。
「で、カフクって、言ったっけ?それがその映画の登場人物で、その人がサーブを乗っている、ってこと?」
「まあ、そうね。カフクが乗っているのが、そう、サーブ。ちなみにカフクって、家に、福は内、の福なんだけど。家福ね。なんかさ、あの映画って、忍は観てないからネタバレになっちゃうけど、ああ、でも今から話すことは、そうでもないんだけど、全編通して、サーブがいい感じで映っていて、わたしだけじゃないはず、サーブ欲しいな、って思った人。で、思い出したんだけど、周りに3人ぐらい乗っていた人がいたわけ。もうその3人とも付き合いなくなっちゃってるんだけどさ、そういえば、その3人共、センスが良かったんだよね、なんというか、人と違った何かが好きな人たちで、でもなんていうか、お金を山盛りにして買うというのとは違って、まあ、言うなれば、地味なんだけど、いいメガネフレームだな、って思わせるような趣味の人たちだったんだよね。それで、西島、いや家福のサーブを見ていたら、なんだか、そろそろわたしも、そういった地味なんだけど、いい感じな領域に入ってもいいかもって思って、ボルボからサーブに乗り換えた。」
地味だんだけど、いい感じの領域。なるほど、そういうのってあるな、と聞いていて思った。だが、サーブを地味だとするのは、少数派ではないかと内心思った。





「そういえば、この車も四角い目なんだね。四角が好きなの?」
「うん、そんな感じ。四角は結構好き。丸いのも好きだけどね。ほら、ハイエースの古いやつとかの。」
「ハイエースの古いの?ごめん、わからん。そんなに車詳しくないし。」
「ああ、そうか。今流行ってるじゃん、軽を改造したキャンピングカー。わたしもそれにはまりそうになったけど、やっぱり軽だと狭いから、ハイエースの丸目を改造してキャンプ仕様にしたのを狙ってたのね。だけど、ほら、サーブに出会っちゃったから、もうお金ないしね。だから、今はキャンピングカーを持っている人を探してるんだけどね」
「そっか、ジェニーって、車好きなんだね。気づいていたけど、思ってた以上だった。」
「うん、車も好きだけど、車に乗って、ドライブして、どっかへ行く方が好きかな。だからさ、そろそろ忍もキャンプとか行かない?」
 久しぶりに、ジェニーにキャンプに誘われて、ちょっと戸惑った。断り続けてきたので、すっかり諦めてもらえたと思っていた。わたしは虫が苦手なので、アウトドア全般が無理だ。それに、なぜわざわざ狭いテントの中で、屋外で寝なくてはいけないのか、その魅力が全く分からない。子供の頃に、林間学校でちょっとは体験したことがあるが、それで十分だと思った。
「キャンプ?うーん、やっぱり興味がないなあ。虫とか無理だしね、ごめん」
「ああ、そうだったね。まあ、気が向いたらいつでも言ってね。連れていくから。」
ジェニーは、そう言ってそれ以上続けなかった。
「で、さ。今日は、わたしのイエローサーブに乗って、どこか行こうよ。和夫のとこでも行く?」
「和夫って、逗子だっけ?」
「葉山だよ。まあ、隣だけどね。あいつ、今日は暇だからって言ってたから。もしかしたら、行くかもって伝えてあるから。どう?行く?」
正直、和夫には興味がなかったが、今日はそのつもりだったので、ジェニーと葉山にドライブすることにした。


ワイン色のレザーシートは、ジェニーの趣味だとすぐにわかった。おそらく張り替えたのだろう。ボルボも同じ色のシートだった。わたしには、ワイン色を選ぶセンスはないのだが、彼女にはよく似合う。もともとモデルだから、アドバンテージはあるものの、その職業の人は、案外センスが普通以下の人も多いと言うのがわたしの雑観だ。スタイリストやヘアメイクなどの友人が側いて、自然とセンスのいいアイテムを取り込んで、それなりに見えるが、本人はそうじゃない。そんなふうに感じることが多かった。
だが、ジェニーは、センスが良かった。それは狙っているわけでもなく、ピックアップするものが、本人に似合うものになっているのだった。だからワイドな服が流行っても、タイトな服が流行っても、彼女はあまり影響されずに、かといってそういうものを否定しているふうでもなく、ナチュラルな立ち位置でいられる、天性のセンスがあるとわたしは踏んでいた。





「どう?サーブ、いいでしょ。ふふふ。」
ふふふ、と笑い声を擬音で並べる時は、ジェニーが最高に気分がいい時だ。
「うん、素敵だね。もっと古めかしいインパネかと思ってたけど、そうじゃないし、シンプルで、ちょっと古くて、品があるね。」
わたしは、適当に褒めたけど、まあまあいい感じに言えたようだ。
「サーブってね、もともとスウェーデンで飛行機作っているメーカーなの。だから、ほらコックピット感が少しあるでしょ?」
「そう言われてみれば、そうかもしれない。」
「戦闘機とかも作っている、まあ軍需メーカーなんだけど、そういうのってどう?」
「軍需産業は、気になると言えば、気になるけど、そんなこと言ってたら、生活できなくなるしね。軍需産業による技術なしでは、スマホすら生まれなかったわけだし。」
「ううん、わたしが言ってるのは、マイナスのイメージではなくて、むしろ、本物嗜好ってことなんだよね。今の文脈でいったら、わたしのこの感覚って愚かかもしれないけれど、ほら、そういうのってあるじゃない?戦闘機作ってるメーカーが作ってる車って、なんだかすごくない?ああ、だけど、戦闘機を作ってるサーブと、車作ってるサーブって、会社が違うって誰かが言ってたかも。でもきっと同じグループだと思うし。」
「まあ、確かにすごい感じはするね。トヨタはトヨタだしね。」
わたしは、話がへんなところに入ってるなと感じつつ、だった。
「で、家福は、映画では赤いサーブに乗ってるんだけど、なぜ、わたしがイエローを選んだかってわかる?」
ジェニーは、悪戯な目で私を見つめてから、視線を道の先へと戻した。それは1秒くらいあった。運転中に1秒目を逸らすことがどんなに危険かは多くの人が想像できるだろう。アメリカの青春映画のシーンで、運転中の彼が彼女に語りかけている時に、気が気でないのはわたしだけでないはず。ただ、ジェニーの悪戯な目には、余裕があって、彼女の1秒は、わたしたちの0.1秒に過ぎないのではないか。アイルトン・セナは、100キロを軽く超えるスピードで走りながら、隣の席の人に、数秒間も顔を向けて話していたというから、人の感覚というのは、確実に個人差がある。
「イエローを選んだのは、ジェニーがたまたまあったのを気に入ったからじゃない?」
「うん、そういうのってあるけれど、今回は違うの。答えはね、村上春樹の原作では、黄色いサーブなんだよね。それが決め手。で、川崎のお店には、在庫がなかったから、塗ったんだよね。シートもワインに張り替えるわけだし、その辺は、わたしオリジナルにこだわらないからね。で、黄色にしたの。もともとモンテカルロ・イエローっていうカラーなんだけど、それに近づけてね。」
「へえ、モンテカルロ・イエローか。なんとなく華やぐね。モンテカルロか」
「でしょ。でね、もうひとつクイズ。」
「クイズ?」
「そう、ひとつめがなぜイエローを選んだかだったよね。二つ目は、わたしの車が原作のと大きく違う点があるの。決定的にね。それはなんでしょーか?」
「決定的にか。うーん、降参」
「早過ぎだけど、まあ、答えるね。それは、原作ではイエローのコンバーチブルなんだよね。」
「コンバーチブル、ああ、オープンってことか」
「うひひ。コンバーチブルってなんとなく、好きじゃないだよね。なんとなくだけど、安全性で劣りそうじゃない?だから。」
 ジェニーが安全性と言うのを意外に思いながら、彼女が運転する車に揺れ続けた。イエローのサーブ。エンジンの音と、ドアを閉じる音がいいなと思った。
 ジェニーもわたしも、次の日がお互いに休みだと分かったので、ジェニーの強引な誘いに乗って、中田島砂丘に行くことになった。なんと静岡の浜松にだ。そこからの眺めをわたしにどうしても見せたくなったのだと、ジェニーはご機嫌に言い放った。
「どう、サーブ、いいでしょ?欲しくなった?」
わたしは、棒読みで、いいね、欲しいなー、と言ってみた。
「でしょ?買っちゃいなよ!赤いサーブ、映画と同じだよ。西島とお揃いだよ!」
そうだね、買っちゃおうかなー、私の棒読みは続いた。もちろんわざとなのだが、それはジェニーには、わたしの棒読みを喜ぶ習性があって、彼女にもよく分からないが、その時のわたしの表情と声が好きなのだと言う。
言ってはみたものの、消費欲は微塵も動かない。ああ、もはや悟者である。資本主義国家に生まれて、消費を楽しめないなんて大人気ない。もしもサーブがこのまま空に飛び上がり、戦闘機になったとしても、欲しいなんて思わないだろう。いや、そんな車、一部のマニアしか欲しがらないだろうけど。
ああ、わたしの消費欲よ、いづこへ?
「あ、そういえば、利夫に連絡するのを忘れた!」
ジェニーは砂丘の上からそう叫んだ。私は、忘れたね、と添えた。





#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
#27 岸を旅する人
#28 うなぎと蕎麦
#29 その部分の皮膚
#30 ZEN-は黒いのか
#31 ブラジリアン柔術
#32 貴様も猫である
#33 君の終わりのはじまり
#34 love is not tourism
#35 モンゴルペルシアネイティブアメリカン
#36 お金が増えるとしたら
#37 0歳の恋人20歳の声
#38 音なき世界


藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある
 

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