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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
#40 カシガリ山 前編




千葉の東金から高速道路に乗り、長野の諏訪で降りるまでの所要時間は、四時間に満たなかった。大型連休の中日、平日での移動は予想通りに渋滞なしで、父子を運んだ。途中のPAで20分ほどの休憩を挟んだだけだったが、運転を担当した息子の藤島健一は、それほど疲れていないことに、まだまだ体力があるなと内心自画自賛した。
リアシートに座り続けた父の藤島守昌は、ティアドロップ型のサングラスをしたままだったので、バックミラー越しだと、眠っているのか起きているのか、健一には分からなかった。
もともと気の合わない関係だったから、一泊の父子旅行にはお互い気が重かった。考えてみれば、すでに81歳の守昌と54歳の健一は、これまで2人で旅行などしたことがなかった。物心ついてからは、家族旅行ですら記憶になかった健一は、閉じられた車内の空気のぎこちなさもあってか、アクセルをいつもより踏みがちで、なるべく早く目的地につきたかった。


父子の目的地は、長野県茅野市の北山というエリアだった。守昌はおよそ20年前にそれほど高くない値で別荘を購入した。叩き上げで働きづくめの人生を実直に進んできた守昌にとって、まさか自分が別荘を手にできるとは夢にも思ってもみなかった。だが、新聞の広告で知った別荘の値段は、6百万ほどで、自分のような物にも手が届くことに驚いた。大切なことは、妻に相談せずに自分で決めてしまう悪癖をもつ守昌は、この時も同様に勝手にことを進めて購入したのだった。
妻のスミ江は、呆れつつも、別荘という名の響きに、胸を踊らせた。2人は、春、夏、秋と、それぞれ1週間から2週間くらいの期間を別荘での滞在にあて、老後に訪れた別荘のある暮らしを楽しみ始めた。守昌もスミ江も、裕福ではない家庭の出だったので、子供を育て上げた以後に訪れた別荘での時間を、ついに人並みの幸せを手に入れのだと、しみじみと2人は噛み締めた。
「俺は、取り柄のない人間だから、真面目にやるしかないんだ」という父のお決まりの台詞を、健一は好きではなかった。確かに父は人より特別に優れたところはないと健一は同意していたものの、そう言う時の父の雰囲気や表情のねじれた重苦しさに、いつも嫌気がさしていた。この人は、これを言って、どうしたいのだろう。これを息子に聞かせてどうしようっていうのだ、と怒りのようなやるせなさを小学生の頃から感じていたのだ。
そんな父が、別荘を手に入れた時に、健一に言った事もこんな感じだった。「俺みたいな取り柄のない人間も、別荘を手にしたっていいんだ」
健一の、心中によぎった感情は、小学生の頃から続いていたそれと同じだった。


父が大切にしてきた別荘を手放すことになった理由は、母の足が悪くなって、もはや別荘への長い坂を登れなくなったことだった。急な斜面に立つその家は、別荘地内を網目のようにめぐるアスファルトの私道から2度折り返す長めの坂を登らなければならず、途中で休憩するためのベンチが置かれているほど急だった。標高1400メートルに立地するのだから、いきなり平地から車でやってきてその急坂を登るのは、30代の終わりに健一が最初に訪れた時でさえ、息が切れたものだった。まして、80が見えてきたスミ江には、すでに問答無用で無理だった。
それでも守昌はスミ江を千葉の自宅に残して、近所の将棋仲間を誘ったり、1人で出かけたりして、別荘の愉しみを継続していたのだが、いよいよ自分の足も弱まり始めると、ついには、健一に別荘を引き渡した。
引き渡したといって、譲渡したわけでもなく、自由に使えと言っただけであった。だが健一は、雑誌で紹介されるようなお洒落な別荘建築とは程遠く、平地のありふれた家をただ高地の斜面に乗っけただけの外観が気に入らず、リノベーションも考えたのだが、元のセンスの動かし難い悪さに諦めて、年に1度くらいしか行かなかった。別荘に行くことの楽しさに、非日常性を求める健一にとって、普通の家がただ長い坂を登らないと辿り着けない斜面に立つことの意味が不可解すぎて、どんなに心のアングルをいじっても、やはり楽しめないのだった。





守昌は、一度正式に別荘を譲ると健一に持ちかけたのだが、あっさりと断られた。健一は、もらっても時を経て売ればいいだけだと考え、念の為管理事務所に一切を問い合わせたところ、その別荘を手放す時には、建物を解体して更地にするのが、契約にある条件だと知った。ちなみに解体費は3,400万円が相場だが、斜面にある藤島家の解体には、500万円は下らないだろうというのが管理事務所の見立てだった。健一が、好きでもない物件にそれはないと断るのは、むしろ当然だった。
困ったのは守昌だった。年間の管理費ばかりがかさみ続ける不良不動産をどうにかしようと、いろいろなところへ持ちかけて待つこと3年。ようやく無料ならもらうという業者から連絡が入り、即座に受け入れることに決めた。守昌にしてみれば、この時を逃してなるものか、という心境であった。正式な決定を待つまでに、別荘に置いてある私物を引き取りにいかねばと守昌は考えた。業者がいつ下見に来てもいいように、見栄えのために綺麗に片付けておこうとしたのだ。
そういうことで、今回の父子別荘行きとなった。健一は、1人で運転して向かい、あの坂道を上り下りして荷物を運び出すことなど守昌には無理だとわかっていたので、手伝うことを申し出た。いくら仲が良くなくても、親は親であり、親でなくても足の弱い老人を放っておくほど、健一も悪い男ではなかった。


諏訪で高速を降り、別荘までの15キロ約30分の途中で、昼食をとることにした。健一は守昌が蕎麦好きだと母のスミ江に聞いていたので、蕎麦街道と称された道すがらで3軒目の店に入った。大型連休中のために行列が出来ている店が多く、入れるところならどこでも構わない、と守昌が少し苛立ちを隠さずに呟いた後に、すぐに見つかった店だった。
八ヶ岳山麓産の蕎麦粉100パーセント使用という売り文句のせいもあって、出された蕎麦に2人とも舌鼓を打った。せいろ一人前1800円は、都内ならともかく、田舎にしては安くはないが、移動の疲れを癒すためのもの考えたら、悪くはなかった。
白樺湖に北上する大門街道から脇へ入ったところに、その別荘地はあり、入口の管理事務所から、さらに3キロほど私道を登った先に藤島守昌の別荘は位置していた。
到着すると、斜面の上から父子を見下ろす別荘の姿は、しばし2人を無言にさせた。新芽がまだ膨らみ始めただけの斜面を覆う樹々は、2人と別荘のパーテーションとして視界を遮断することなく、別荘の姿をしっかりと見せていた。健一は小さな砦を連想した。
どちらが先となく、2人は急な斜面を登り始めた。健一もすぐに息が切れたが、守昌は歩調が早くもあやしかった。農家生まれの守昌は、幼い頃から足腰が丈夫で、それを何よりもの心の支えとしてきたが、ここにきてそれが失われてきたのと並行して、心の張りも失われていっているのを守昌は自覚していた。


その日の午後は、必要なものを守昌の車に移す作業に終始した。
千葉の大網を出る前に、スミ江は守昌だけでなく健一にもガスレンジをお願いと念を押していたから、最初にそれを健一が運び出した。それは比較的最近買ったものらしく、大網の家のものが古くなったので、スミ江は入れ替えたかったのだ。その後は、将棋盤やら、額装された絵画やら、瀬戸物やら包丁、パスタ鍋などが続いた。そういった比較的大物なら、持ち出す理由にも健一の理解が及ぶのだが、爪楊枝や綿棒、雑巾、洗濯バサミなどもせっせと持ち出す父の姿は、訝しかった。もったいないの精神というのは、分かるが、そんなもののために、あの急斜面を往復する価値があるのだろうかと、健一の合理性が首を傾けるのだった。





健一の、父の行動への微かな疑問が、さらに確かなものへと変化したのは、守昌が趣味で描いて飾っておいた絵を、持ち帰らないと知った時だった。その絵は、大網からほど近い九十九里浜に打ち寄せる波を描いたものだった。お世辞にも上手いとは言えない水彩画であったが、不器用な筆遣いながら、その画面には、ある時のある時間を打ち寄せる波と対峙していた父の気配が色濃く残り、印象深い絵だと健一は見ていた。稚拙さは、かえって飾りのない心象を、まっすぐに映しているようですらあった。
だが、額が重いからと言って、守昌はその絵を放置していくことを健一に伝えた。これは驚きだった。額が重いと言うのなら、他にも車に下ろした額もあることだし、意味が分からない。さらには、九十九里浜を孫の隆一を背負って歩く守昌の姿の額装写真をも、どうやら放置していく様子であった。一般的に、孫は可愛いものだろうし、そういう写真は持ち帰るものだろうとする健一は、不思議を通り過ぎて、薄気味悪さすら感じ始めていた。この人は、ちょっとおかしくなっているのではないか。それとも、いわゆるボケの始まりだろうか。
健一は、そういった疑念を確かめる機会として、今は適当ではないと言葉をのんだ。おそらく最初で最後の父子2人旅である。波風立てずに、穏便に済ますことは、ここに来る前からの健一の自分への約束だった。そういったこともあって、なんとなく気まづく、重苦しさが漂い始めたら、健一は別の部屋に行ったりして、衝突を避けるように心がけた。疲れてくると、人はイライラするものだが、守昌は特にそれが顕著で、癇癪持ちのようになると健一は知っていた。さっきまで笑っていたかと思えば、急にむしゃくしゃして当たり散らすのが常だったので、回避することにも慣れていた。それは藤島家の常態であって、妻のスミ江も、長男の健一も、長女のまき子にも浸透していた。


家の全高の倍はあろうかという大きな鉄骨のやぐらに持ち上げられて斜面に立つその別荘のベランダからは、眺めがとても良かった。 2階建ての1階にあるリビングのソファは、そのベランダへと西側に向いて置かれ、谷向こうの山の稜線が目の高さにあった。その眺めに向かい合うと、最初のオーナーがなぜ坂を登った先にこの別荘を建てたのかが分かる。他の別荘群にはない、特別な眺めがそこにはあって、ソファに深々と座りながら、もしくはベランダに椅子を出して陽光を浴びながら、誰もが時を忘れる思いを手にできるのだった。
健一は、父が他の片付けなどをしている最中に、ひとりベランダに出て向かいの山の稜線を眺めて、いつものように深呼吸を繰り返した。その山の名は、カシガリ山といった。その独特の響きは、アイヌ語の地名の響きを思わせた。昔は日本全土で暮らしていた彼らゆえ、アイヌの人々によってつけられた名が現代でもそうと知られずに使われていることは多い。例えば、利根川がそうであるように。
カシガリ山を眺めていると、それは手が届きそうだった。健一は、いつかその山を登りたいと考えていた。もしかしたら、今回が最後のチャンスかもしれない。そうだ、そうならば、そうしよう。標高もせいぜい1600くらいだろう。ちょっとしたピクニックになるだろう。明日、守昌を見送った後で、自分だけさらに数泊しようと計画していたぐらいだから、時間はある。そうだ、カシガリ山に登ろう。
そんなことを考えていた健一は、眼下の斜面をゆっくりとした足取りで降りていく守昌の姿に気づいた。健一は、その足取りを観察し、守昌の体調を案じた。どうやら大丈夫そうだ。守昌は、斜面を降り切ると、家の方を見上げた。そしてそのまましばらく動かずに、じっと見据えるようにしている。健一は、守昌も万感の思いに浸ってしるのだろうと察した。
 

守昌は、健一が自分をベランダから見下ろしているのに気づいていた。
さてと。守昌はそう呟くと、車のドアを開けて、3秒先の自分の姿をトレースするようにゆっくりと、シートに座り込んだ。


健一は、守昌の水色のトヨタアクアが、別荘を去っていく姿をベランダから見送った。自分にひとことも残さずに、いったい彼はどこへと向かったのか。そう思った途端に、嫌な予感がした。もしかしたら、守昌はこのまま去ってしまったのではないか。リビングに戻り、他の部屋へも行き、確認したところ、父の私物はひとつもなかった。もともとポケットに財布1つでぶらりと来た彼であったから、私物といっても、その財布ぐらいであった。守昌は携帯を持たないので、連絡は取れない。
4時か。最後に健一が聞いた守昌の言葉はそれであった。キッチンにある時計をしげしげと眺めて遠くを見るような雰囲気で、そう呟いたのだ。今思えば、4時なら千葉へ十分帰れる、という意味だったのかもしれない。健一は、妙な胸騒ぎを覚えた。もしボケのせいなら、千葉へ帰るどころか、道に迷って、ここにも戻れないのではないか。健一は、再びベランダに立った。カシガリ山は、無言であった。





#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
#27 岸を旅する人
#28 うなぎと蕎麦
#29 その部分の皮膚
#30 ZEN-は黒いのか
#31 ブラジリアン柔術
#32 貴様も猫である
#33 君の終わりのはじまり
#34 love is not tourism
#35 モンゴルペルシアネイティブアメリカン
#36 お金が増えるとしたら
#37 0歳の恋人20歳の声
#38 音なき世界
#39 イエローサーブ


藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある
 

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