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藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
#42 イッセイミヤケ




テレビは既に終わっているらしいが、ボクの中では相変わらず重要な位置をキープしている。こう書くと、テレビにはまだまだボクを捉えて離さない魅力があるように映るが、実際は僕の依存体質が、たまたま幼い頃からテレビに寄り添い続けているだけだと思う。
「寄りかからず」という題名の詩集をたまたま本屋で見つけた時、ボクは自分の依存症とテレビの関係を思い浮かべたわけで、著者の茨木のり子さんは、もうちょっとましな読者を想定していたのだろうが、現実はえてしてこんなもんだろう。ボクはそろそろテレビに寄りかからずでいたいと思うのだが、実際はそうもいかない。依存とはそういうものだ。
その時ボクは駅前の小さな書店の中で、「寄りかからず」を目にして立ち尽くしたまま、60秒ほど人生の貴重な時間を費やしてしまった。2度と戻らない貴重な60秒ほどを、立ち尽くすことに無駄使いしてしまったことに、うわっとなって気づいたが遅かった。そのまま書店を出てもよかったが、それだとボクの60秒と釣り合わないと確信し、「寄りかからず」をレジに持っていき購入することで、60秒は購入するための検討時間と正式になったことで安堵を得た。


念の為に伝えておくが、ボクは心の中でしか自分をボクと呼ばない。30半ばの女が自分のことをボクと呼ぶのは心の中だけにしておいた方がいいことくらいは、分かっている。ボクは、本当に自分と向き合っている時は、「ボク」を使うことにしている。なぜかと訊かれたら、おそらく30秒ほど躊躇してしまうだろう。おそらく「ボク」と呼ばれる人格に依存しているのかもしれない。ボクがボクであるために勝ち続けなくてはならないと言った昔の歌手がいるが、勝ち続ける必要こそ感じないが、有り続ける必要がボクにはあった。
他者からは、橋本さんとか、明美さんとか呼ばれることが多いが、それは仮名のようなもので、本当の自分はボクしかいない。勉強が得意だった橋本明美は、実は勉強なんて馬鹿馬鹿しくて、どうせなら高得点を取ることで、その馬鹿馬鹿しさを嘲り笑っていた。それが橋本明美の本性であるボクであったわけだ。周囲の期待に応えるゲームを、そこから降りずに第一線に立ち続けることで、その馬鹿馬鹿しさ全体に復讐していた。


テレビを見ていると様々な情報が勝手にこちらに押し寄せてくる。ボクは日毎にチャンネルを1局に絞り、1日中流しっぱなしにしておくのだが、ある時、顔の筋肉についての情報を得る番組があった。
老人の表情が無表情、もしくは表情のメリハリがなくなって能面のようになっていくのは、顔の筋肉が、身体の他の部位の筋肉同様に衰えるからだという。ははあ、なるほど、と合点がいって、その番組が推奨していたアイウエオ運動をボクは日常生活に取り入れてみた。アイウエオ運動という名が、ほぼ全てを言い表しているように、ただアイウエオの母音を顔の筋肉の全てを意識的に動員して、大袈裟に、ひたすら大袈裟に繰り返す、というものだ。なんのテクニックも情緒も要らない、機械的な運動である。ボクはその単純さに合点がいった。


始めた頃は、面白くて隙間時間に、アー、イー、ウー、エー、オーと声を出しながらやっていた。もちろんコンビニや飲食店のトイレなどでは、声は小さめだったり、無音だったりするのだが、歩いている時は周囲に人がいないことを確認してから、しっかりと発声した。
しっかりと声を出すことは、実は腹筋や胸筋などにもいいようで、体がポカポカしてくるのは新しい発見だった。母音というのは、そもそも発声して気持ちいい響きを体内に残すことにも気づき、ボクはますますアイウエオ運動にはまっていった。もし、誰かに趣味を問われたら、今なら胸を張って「アイウエオ運動です。知ってます?」などと言うだろう。
おそらく顔面の筋肉をフル稼働させていたら、皺が増えるのでは?と疑問を持つ人も多いはずだが、こればかりは仕方がない。目尻には笑い皺が増えたのは間違いないのだが、何事にもメリットデメリットがあるのだからしょうがない。能面のような表情に乏しい老人でいることよりも、笑顔が素敵で表情豊かな皺あり老人の方が何かと都合がいい。ボクはそう考える。





さて、ここからが本題だが、ボクのアイウエオ運動のメイン的な時間は、朝の散歩時になっている。言うまでもなく、朝の起きたては誰もが能面で、顔が強張ってカチカチだ。体と顔を起動させるためには、毎朝小1時間ほどの散歩をボクは欠かさない。ヨガウェア的なものにちゃんと着替えるのには理由があって、早朝の住宅地を散歩していても、その格好ならば、ああウォーキングなのねと怪訝に思われることもない。不審者に思われるのは面倒なので、これは案外大切だ。
ボクは日本の南の島にコロナがあってから移住して、そこで人に会わなくてもいい仕事をしているのだけど、そうだとなおさら表情が乏しくなったり発声が弱くなりがちだ。だから、朝からしっかり起動させるべく、散歩とアイウエオ運動をしている。
ボクは姿勢を正し、しっかりとした早めの歩調で、アイウエオ、アイウエオと発声し表情筋を大きく稼働させつつ歩く。歩調とアイウエオのリズムを合わせ、早朝の島を歩いていると、なんというかランナーズハイ的な状態になって、このままずっといつまでも散歩とアイウエオを続けられる、続けたいというゾーンに入る。
思えばかれこれ1年以上続いている習慣なので、わりとこなれた感じが出ていると思う。アイウエオと散歩がこなれるってどういうことだろう、そんなの初心者とたいして変わらないだろう、という失笑は物事を浅く見過ぎていると思う。単純で簡単な運動ほど奥が深いのは、よくあることだ。
まあ、そういった個人的感想内のあれこれはいいとして、生きていると奇異なことがその人の人生において何度か平等に訪れるもので、まさかボクのアイウエオがこんなに流行るとは思わなかった。


あれは去年の11月のことだった。
いつものように、アイウエオ、アイウエオとゾーンに自分をぶち込みながら赤瓦屋根の家が多く残る集落内を歩いていると、とある角を曲がってその集落のメインストリート的な道へと出た途端に、5メートル先から犬を散歩しているおばあと向かい合うことになった。ボクは当然アイウエオのゾーンに入っているわけだから、突然それを止めようがない。さらに、アイウエオと発声しているだけならまだしも、大きく表情筋を動かして目も見開いている姿は、まるで狂った獅子舞のようだったに違いない。おばあは、妖怪でも見たかのように口を開けて怯えた目を見開いてその場に立ち尽くしてしまった。
こういう時に人がとっさに取る行動はいくつかあるだろうが、ボクは平然とそのまますれ違う、というやつをチョイスした。あら、どうなさいました?ボクはアイウエオをしているだけですよ、えっ?知らないのですか?といった堂々とした態度で通り過ぎたのだ。もちろん振り返りはしなかった。
一度起こることは、当然以後も起こる。
ボクは、早朝のその集落で、しょっちゅうそこの早朝散歩愛好家たちとすれ違ったり、角で出会い頭をしたりしつつ、そのたびに泰然とした態度で、えっ?アイウエオ知らないのですか?といった感じで居続けた。
自信満々といったムードというのは、人の心を動かすものらしい。早朝の集落には、次第にボクのフォロワーが出始めた。
胸を張り、歩調もしっかりとした人を見かけたら、たいていアイウエオを唱えている、という事態になっていったのだ。それらそれぞれの様を見ていると、新しい信仰が新しい土地に根付いたような感じだった。さしずめボクは教祖という立場に当たる。
そして、それがまんざら冗談にならなくなってきたのは、その地区の自治体から正式にレクチャーのオファーが届いてからだった。その自治体は活発で、年配者が増えてきたこともあり、健康法への興味と意識が高く、月に一度は、新たな講師を招いているのだった。





「アイウエオ散歩」と題されたボクの講演には、ざっと50人が集まり、小さな集落では盛況といって良かった。ボクは小学生の頃から生徒会に連なるのが常だったから、人前で話すことには慣れていたので、淡々ともっともらしいことを壇上から述べた。もちろんそれに関しての下調べもちゃんとやったので、実演を含んだ1時間の講演などあっという間だった。
ヨガの中には、ラフィングヨガというのがあって、これは笑いたくなくても無理矢理にでも笑顔を作り笑うことで、顔の筋肉の動きのパターンから、脳が主人がハッピーであると誤認識をして、笑いによって起こる免疫力、体温上昇などが身体に生じる、などといぅ例などを持ち出して顔の表情の大切さを説き、筋肉を柔らかくダイナミックに保つことが、健康維持の一助になると説明した。
ア、イ、ウ、、エ、オとゆっくり発声し、大袈裟な表情を添えると、会場は笑いが起こり、互いに顔を見合わせては、涙を流して笑う人までいた。
会の終わりには、参加者全員でアイウエオ散歩で集落を練り歩いた。
そこにたまたま通りかかった集落外の人は、きっと恐怖すら感じたかもしれない。みんなが真剣に、アイウエオと唱えながら、ものすごい形相で練り歩いているのだから。
歩きながら、ボクは歩調を調整して、参加者全員と短い会話を交わして感想をもらった。ほとんどの人が、楽しいと言ってくれたのは普通に嬉しかった。
なるほど、とボクが思うような質問もあった。それはアイウエオの母音の順番は大切なのかという問いだった。ボクは、今一度ゆっくりとアイウエオと唱えながら返答を考えた。そしてある事実に気づいた。もしアエオウイとしたら、口の動きが割とスムーズで楽に動かせる。そしてその分、筋肉の急激な変化が抑えられてしまい、運動としては弱いものになってしまうのだ。そのことを伝えると、質問をくれた知的なおじさんは、ははあ、なるほどうっ、と大袈裟な喜びと満足を混ぜた表情で応えてくれた。本人はさほど意識して大袈裟にしたつもりはなさそうだったから、さっそく表情が豊かになる兆しがありますと伝えると、その即効性に満足そうであった。
表情がイキイキすると、目の輝きも増す。そして顔がそう動くことによって、他の身体や機能も同調して、健康体になる。今のところ、ボクはそう結論づけて、相変わらず朝の散歩をアイウエオを唱えながらこなしているのだが、そう、それは昨日のことだった。
その集落で私のアイウエオを最初に目撃してしまった犬連れのおばあと再びあの角を曲がったところで遭遇したのだ。
さすがに、そのおばあはボクの流暢なアイウエオを目にしてもあの時のように驚きはしなかった。それどころか、犬のリードを引きながら、私と並歩し始めたのだ。ボクは、もはやアイウエオと止められないゾーンに入っていたので、会釈で、おはようございますを伝えると、そのおばあも会釈を返してくれた。
そして、そのおばあは、なおもボクと並歩を続けた。ボクはなんとなく妙な気配を察して、おばあの口元を見ると、彼女が唱えているのはアイウエオではなかった。ボクはおばあがなんと唱えているのかを知ろうと、その口元を見つつしっかり聞こうと歩きながら身構えた。
ボクは、彼女が唱えているのは、母音ではなく人名であることに驚いた。なぜそうなってのかは、いずれ問うことになるだろう。おばあは確かにこう唱えていた。


イッセイミヤケ。






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藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある
 

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